最終更新日:2007年1月28日
『藁塚放浪記』

 『藁塚放浪記』
  藤田洋三著
  石風社刊 2005.12発行
  価格:¥2,500+税 239p
  ISBN:9784883441303

気になる本
2006.8.27 / No.334
■消え行く稲架と藁塚、『藁塚放浪記』

 秋、列車が東北へ入ると車窓からは、刈り取りの終わった田んぼに何本も並んでいる1本立ちの稲架(はざ、はさ)を見ることができる。85年から10年ほど、仕事の関係で秋田、青森、岩手へと通っていた。その都度、この1本立ちの稲架が気になっていた。刈り取った稲を天日乾燥していることは、すぐに分かった。生まれ育った中部地方では、こうした乾燥の仕方はしなかった。刈り取りの終わった田んぼに、1段か、多くても2段の稲架をつくり、孟宗竹の横木に架けて干していた。40年以上前、田植えとともに稲刈りはまだ一家総出の仕事で、小学校も3年生になれば、稲刈りに駆り出されていた。当然、学校もその時期には「農繁休暇」といって3日から1週間休みになった。二又に分けた稲束を横に渡した竹に、隙間なく架けていく。これが稲架の原体験だった。1本立ちの稲架は、構造が理解できないまでも、横稲架とどこで地域的な線が引けるのかと、よく車窓から観察していた。これは結局、モノにならなかった。

 大分を拠点とするカメラマンの藤田洋三氏がまとめた『藁塚放浪記』が、この長年の“疑問”をある程度解いてくれた。やはり1本立ちの稲架は東北に多かった。藤田氏は、漆喰鏝絵の取材の傍ら、全国を回り、韓国にまで足を伸ばし、稲架と藁塚を調べた集大成がこの『藁塚放浪記』である。刈り取り時期に雨の少ない宮崎などでは、稲架も作らず、刈り取ったまま寝かせて乾燥させる。新潟の平野部では畦に植えたハンノキを支柱として使い、5段、10段の稲架を組む。保存用に積まれた稲藁は芸術的ですらある。地域的な気候の差や、文化の違いが、稲架の形や、藁塚の作り方を変えてきたことがよく分かる。

 かつて脱穀した後の稲藁も貴重な資源であった。牛や馬の敷き藁や飼葉になり、柔らかくした藁を綯って縄とし、注連縄ともなり、マルチの大事な資材でもあった。そうした経済的な価値がなくなり、稲藁の無用となりつつある今、稲架や藁塚も消え去る運命にあるのだろう。写真を多く使った、そして余り売れそうにないこの本は、過去の遺産となりつつある稲架や藁塚の貴重な記録でもある。そろそろ、各地で稲刈りが始まる。この本で紹介されている稲架や藁塚と比べてみてはどうだろうか。