『海と森と里と つながりのなかに生きる』
2010年/日本/35分
制作 アジア太平洋資料センター(PARC)
構成 鈴木敏明
進行 小池菜採
資料集(16頁)付き
価格:¥8,000+税
(図書館価格 \16,000+税)
「森は海の恋人」とは言い得て妙だが、海によって生かされているかのように見える海辺の暮らしが、実は森にその大元があったことを一言で言い表している。アジア太平洋資料センター(PARC)の新作ビデオ『海と森と里と つながりのなかに生きる』は、この一言を、その背後にある戦後の農業政策と林業政策の破たんと、それと闘う人たちの証言で多面的に描き出している。
20年ほど前、中部地方や東北の林道を走ることが多かった。行くたびに、ゴルフ場の造成も多かったが、うっそうとした広葉樹の森がまっさらに伐採される現場に遭遇することも少なくなかった。南会津の山中では、詐欺のような伐採現場に遭遇した。両側がブナやミズナラの大木の林道を抜けて尾根に出た時、実はそれがカモフラージュだったことに気がついた。50メートルから100メートルの“緩衝帯”の外側は、全面的に伐採されて無残な山肌が露出していた。昼なお暗い植林地に迷い込むことも多かった。間伐の手が入らず、やせ細ったスギやヒノキばかりの森である。鳥の声も聞こえない、面白くない山だった。20年前、すでに林床まで光が入り、風の通る植林地を目にすることは少なかった。
こうした不健全な山や森は、戦後の「拡大造林」の名の下に、補助金付きで奨励された結果でもある。映像は、古い新聞記事や出所の明らかな統計によって、その歴史を説き明かす。「拡大造林」の一方で、木材輸入の自由化がもたらす木材価格の低迷と森の荒廃。荒廃林地は、必然的に集中豪雨による山抜けをもたらし、下流域の洪水の原因となる。広葉樹の森には「緑のダム」という異名すらあるが、その保水力の差は実験映像で明らかになる。なぜ、広葉樹の森なのか。なぜ、根元まで光のさす森が健全なのかと。
気仙沼のカキ養殖業者は「年間20億円のすべてを太平洋がもたらしてくれると思っていた。しかし、調べてみると川が18億円を運んできていた」と語る。山の豊かな土壌に生きる微生物が分解した栄養が、川を下ってプランクトンを生かし、貝や魚を養う。人もその恩恵を受ける。山も川も海も大きな循環のなかにあった。ダムは、漁師の恐れる洪水の濁流を防ぐどころか、海のやせる原因でもあった。このことに気付いた漁師が、土建行政の象徴でもあるダム建設を中止に追い込む運動に合流していく。そして、気仙沼の漁師たちは、山の恵みに気がつき、「森は海の恋人」をキャッチフレーズにして、山に広葉樹を植え始める。
豊かな山は里の田んぼにもその恵みをもたらす。稲作農家は語る。「無肥料でも、川の水でそこそこの収穫をあげることができる」と。そして、「30センチの畔が、洪水のときに田んぼをダムに変え、被害を少なくする」。漁師たちが木を植えることに里の農民は、化学肥料や農薬を使わないでコメを作ることで「恩返し」に動きだす。
山が生き返り、流域に暮らす人々が意識的に考えることで、里も海も生き返る。副題のいう「つながり」が実感できる。山に生きる林業家、里の農家、海の漁師たち生活者の語る言葉に重みがある。
山と川の重さに気がついた気仙沼の人たちには、まだ救いがある。裏返せば、山を忘れ川に無関心となった人々は、山と川から、あるいは海からその報いを受けることでもある。中山間地では、限界集落の増大や離村により山が荒れているという。広域合併が拍車をかけているともいう。とある県の役人は、「広域合併の隠された意味は、点在する集落を平地に集めることだ」と言い切った。膨大な財政赤字の前に、そうした「袋小路の奥へのライフラインを維持できない」からだという。荒れる山が、一層荒れていく現実が目の前にある。
このビデオは見る人に、どのような選択するのかを問うている。
購入は、直接、アジア太平洋資料センター(PARC)まで連絡を。
・アジア太平洋資料センター(PARC)
〒101-0063
東京都千代田区神田淡路町1-7-11 東洋ビル3F
TEL: 03-5209-3455 FAX: 03-5209-3453
e-mail: office@parc-jp.org
URL: http://www.parc-jp.org/
「拡大造林」の実際については、宇江敏勝氏の『山びとの記』( 1980年,中公新書 2006年、新宿書房)に詳しい。